Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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シャフィク・ウル・ラフマンのファイナルレポート

はじめに

私は2001年8月24日に日本へ来ました。その時雨が降っていました。これは私の初めての日本への旅です。私は日本語が全然話せませんでした。どうやって人とコミュニケーションできるか心配でした。空港に彰子さんが迎えに来ました。これは私の研修の始めです。日本の印象は、日本人は働き者なのでとてもいい国だということです。

初めの3ヵ月

長田先生と山崎先生が私達に日本語を教えてくれました。私は日本語をあまり真面目に勉強しませんでした。でも、真砂子さんは日本語の勉強の仕方を教えてくれ、励ましてくれました。この最初の3ヵ月はとても嬉しく楽しい時間で、戸山サンライズのレストランで一緒に朝ご飯を食べるために早く起きました。毎日ほとんど同じ食べ物でときどきあきましたが、大きな問題ではありません。ときどき私はJSRPD(日本障害者リハビリテーション協会)の人達と夜ご飯を食べに行きました。とても良かったです。3ヵ月経って日本語の勉強は終わりました。でも私の日本語はあまり良くないです。

個別研修1

それから私の個別研修が始まりました。私は自立生活の勉強のために西宮のメインストリーム協会へ行きました。ひとりで生活することは私の人生の中で初めてだったので、ときどきとても大変でした。なぜなら自分で料理や洗濯、掃除をしなくてはならなかったからです。しかし、ひとり暮らしをすることで私は自分に自信がつき、責任感もつきました。自分で生活をしていく力がもっと強くなったと思います。メインストリーム協会の人はとても親切でした。

スキーとホームステイ

12月に私達はスキーに行きました。私はたくさん山を見たことがありましたが、スキーができると考えたことはありませんでした。私の夢が叶い私は柔らかい雪の上にいました。とても楽しかったです。その時の私の気持ちを説明することはできません。これは一番素晴らしい時間でした。私は温泉にも初めて入りました。皆と一緒だったので恥ずかしかったですが、でも楽しかったです。それから日本の伝統的な食べ物はとても美味しかったです。スキーのあとで私は富山県にホームステイのために与島さんの家へ行きました。私は日本人が神社でどのようにするのかを見るために行きました。大仏があるお寺へ行って良かったです。

個別研修2

ホームステイのあとで、私は勉強のためにもう一度西宮のメインストリーム協会へ行きました。その時は前よりもっと忙しかったです。私は廉田さんや佐藤さんや玉木さんと一緒に色々な学校と大学で障害者のことを話し合いました。日本の伝統的な場所を見学するために奈良や京都へ行きました。日本人の生活のスタイルがとてもきれいだし、魅力的だと思いました。私は関西弁も勉強しました。西宮のあとで私は東京のDPIの事務所へ行きました。

障害者のための法律を作るために、どのように政府を動かすのかを勉強しました。私は三澤さんや金さんや宮本さんや蛭川さんや崔さんといろいろなことを学びました。新たな勉強の時、とても親切でした。この研修の間に私は知的障害者からたくさん勉強しました。そのあと2週間ホームページの作り方も学びました。私は私の組織のホームページを作りました。

車いすのプロジェクトの勉強のために大分へ行きました。温泉も見に行きました。障害者の車いすスポーツを麻生さんと勉強しました。4月からヒューマンケアへ行きました。日本へ来た時、中西さんと会ってとても感動しました。そこで和山さんに中西さんと勉強できるかを聞きました。そして4月ヒューマンケアに行って、叶いました。私は中西さんから自立生活センターの運営を学びました。それからピアカウンセリングと自立支援プログラムも学びました。皆先生達はとても親切です。ヒューマンアの訓練が終わった時、以前より私はパキスタンで自立生活センターを作ることがはっきりしました。今年から始まる自立生活センターはパキスタンだけでなく、南アジアで初めてです。私は5月7日、国際会議の準備に札幌へ行きました。宮本さんと恵子さんは私に色々なことを教えてくれました。札幌はきれいな街です。次に私は名古屋へ行って山田さんとパキスタンの自立生活センターを作ることについて話したり学んだりしました。一日だけでしたがたくさんのことを学びました。メインストリームに戻って、廉田さんと将来の私の計画やパキスタンの自立生活センターとそのリンクについて話しました。

私は新宿情報センターでDAISYの技術を学びました。河村さんのDAISYは素晴らしいです。私はこの技術は社会を変えると思います。視覚障害者や重度障害者と聴覚障害者はこの技術を使ってたくさん学べるようになります。私はパキスタンにこの技術を紹介して、情報や技術事業を展開したいです。私は運転も勉強して上手になり、自信ができました。個別研修の最後に私はヒューマンケアにもう一度行って中西さんから情報や指導をもらいました。それからグループトレーニングが始まりました。私はたくさんの新しいことを講義以外にもJSRPDの人から学びました。

最後に

ついにダスキンの研修が終わります。今、私はレポートを書きながら何を無くして、何を得たのか考えています。この一年、パキスタン、そして家族や友達から離れた日本での生活は素晴らしいものでした。一方私は将来の計画や自分と私の国をどのように変えていけばよいか分かりませんでした。日本人は素晴らしく、とても優しい心、そして伝統的な考え方を大切にしている人達だと思います。鈴木清一さんから始まったダスキン哲学を学びました。ダスキングループが大好きです。ダスキンの人達はとても親切で優しいです。この素晴らしいプログラムのためにお金と応援してくれてとても感謝します。

JSRPDから家族のような愛をいただきました。彼らは私の家族の一部になりました。私は尊敬する真砂子さん、にこにこしている和山さん、すてきな彰子さん、とてもきれい、でも電話代を請求する那須さん、お金を調達してくれる財務担当の真理さん忘れません。与島さんと村上さんの家族も忘れません。

私は最後にひとつのことを書きたいです。ダスキンの事業が続けば、世界は障害者のために早く変わることができるでしょう。

最後に私は日本の国と恋をしました。日本での生活は一生忘れません。

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