Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

プロフィールに戻る

オウ・ジョウのファイナルレポート

はじめに

2001年8月の終わりに、私は第3期ダスキンアジア太平洋障害者リーダー育成事業の研修生として日本にやって来た。この事業は1999年から始まり、アジア地域の障害者の研修生を募集している。今年の研修生は中国、韓国、インドネシア、フィリピン、ネパール、モンゴル、マレーシア、パキスタン、スリランカ9か国からの9名だった。それぞれ違う国から来たのに、みんな障害を持っている体験が同じなので、会ったばかりの時から、まるで何年も知り合いの友達のような気がした。最初の1週間はオリエンテーションで、みんなと一緒に日本の伝統や習慣について話をきいたり、東京江戸博物館や障害者スポーツセンターを見学したりしていた。

初めて外国に滞在する私は、これからの日本での研修と生活はとても楽しみだと思った。

研修についての思い出

私たちの研修の計画は主に三つの部分があった。

9月3日の開講式が終わって、日本語研修が始まった。私は以前、日本語を少し習っていたので、日本語学校の中級クラスに入った。日本語は、勉強すればするほど、難しくなると感じた。日本語学校に入ったばかりの時、先生の日本語を一生懸命聞いても、ほとんど理解できなかった。しかし、毎日日本のテレビ番組を見たり、ニュースを聞いたり、日本人の友達と話したりして、日本での生活に慣れるにつれ、知らず知らずのうちに日本語もちょっとずつ上達してきた。日本語を勉強しながら、私たちはさまざまな障害者の会議や障害者団体のイベントに参加する機会があった。それは、Hands for Lightの視覚障害者のお茶会やDPIの十年記念大会などである。11月に三重県に行き、「第七回チャレンジド・ジャパン・フォーラム2001国際会議In三重」で初めて人の前で日本語で発表した。習ったばかりの日本語なので、そんなに上手ではなかったが、無事にできた。

11月29日に日本語研修発表があり、12月から個別研修に入った。日本の福祉制度、福祉施設の運営、視覚障害教育などを勉強したい私は、主に筑波大学心身障害学系と東京視覚障害者生活支援センターで研修させていただいた。

筑波大学の研修では、日本の視覚障害教育について、指導法や自立活動などの授業をうけたり、いろいろ本を読んだりして、勉強した。また、視覚障害者大学支援について資料を調べ、中国語で文章を書いた。現在の中国で、普通の大学に進学する視覚障害者はまだまだ少ないので、日本で勉強した良い経験をもって帰りたいと思った。3月9日には指導教官の鳥山先生と一緒に日本リハビリテーション連携科学学会で「中国における視覚障害者高等教育の現状」という題で、八枚のポスターを使って発表した。筑波の研修で一番良かったのは、図書館に行けることだった。拡大読書機を使って、晴眼者と同じように墨字の本が読めるようになり、まさかこんなことがあるとは信じられなかった。本が大好きで、ずっと本を読みたい私は本当に嬉しくてたまらなかった。

東京視覚障害者生活支援センターでは、主に中途失明者の行動訓練、生活訓練、パソコンを使っての情報交換等のリハビリテーション支援に関する内容や方法を勉強した。また、日本の福祉制度や社会保障について、本を読んだり、先生たちのお話を聞いたりして、日本の福祉制度の発展や特徴などもいろいろ学習した。帰国後、自分の仕事にとって大変参考になると思った。

その他、個別研修期間中に日本各地の障害者施設を訪れて、見学もした。見学先は、神奈川県藤沢市の光友会(神奈川ワークショップ、湘南希望の郷)、横浜訓盲院、横浜光センター、日本点字図書館、日本視覚障害者職能開発センター、筑波大学付属盲学校、大阪の日本ライトハウス、神戸盲老人ホーム、神戸アイライト協会、点訳ボランティア連絡会、JBS日本福祉放送等であった。実際に施設を見学して、職員の方の説明を聞くことができたのは、具体的に良くわかり、良い勉強になった。

個別研修の最後の3週間、私はDAISY(デジタル録音システム)という技術も勉強した。中国でデジタル録音図書はたぶんまだないと思うので、これから、もし機会があれば、この技術を広め、中国の視覚障害者のために音声図書館を建てようと思っている。

日本に来て、一番印象深いことはボランティア活動である。特に視覚障害者を手伝う点訳ボランティアの活動はもう何十年もの歴史があるそうだ。今の日本は、大学入学試験だけでなく、その他のいろいろな資格試験も、点字でうけることができる。視覚障害者の進学と就職にとって大変助けになると思う。たぶん日本の福祉事業が進歩したのは、ボランティアの方々のサポートのおかげだといえるのではないだろうか。そのほかに印象深いことは、視覚障害者のパソコンの利用と音声ソフトである。日本で、かなりとは言えないかもしれないけれど、比較的多くの視覚障害者の方がパソコンを使って、文章を書いたり、メールやインターネットをしたりしているそうだ。パソコンが使えるようになって、健常者と同じように仕事をしている視覚障害者もいらっしゃるそうだ。

6月10日からの集団研修では、みんなと一緒に障害者運動やリーダーシップについて話を聞いたり、議員会館、日本財団、JICAなどの団体を訪問したりして、いろいろな情報を得た。この集団研修の経験はこれからの仕事にとって、大変大きい自信になった。

その他の思い出

勉強以外の生活もいい思い出になった。去年の12月に研修生のみんなと一緒にスキーに行った。短い3日間のスキー研修であったが、先生の熱心な指導のおかげで、私はうまく滑れるようになった。山の上から滑るとき、鳥のように飛んでいく感覚はとてもすばらしいと思った。

お正月に、私は東京の伊藤さんのお宅にホームステイした。家族の皆さんはとても親切にしてくださった。元旦に、お母さんに着物を着せていただき、家族と一緒に日枝神社に初詣に行った。それから、銀座やお台場などにも連れて行っていただいた。美味しい料理を食べさせていただいたり、日本のお正月の伝統的な習慣なども経験させていただき、本当に楽しかった。

日本に来たばかりの8月26日から、私は毎月第2と第4日曜日に、代々木公園のアキレス障害者マラソン練習会に行くようになった。今年の3月31日初めてタートルマラソン大会に参加し、2回目の土浦マラソン大会では視覚障害B2の34歳の5キロマラソンで第1位になった。日本に来る前に、マラソンをぜんぜんやったことがない私が、走るのがすごく好きになった。ふるさとの瀋陽に帰ったら、同じようなアキレス障害者マラソンチームを作って、瀋陽でマラソン大会を開き、日本の友達も誘って、一緒に走ろうと思っている。

最後に

日本での一番の収穫はたくさん友達ができたことである。人間は一人では十分なことができないと思う。だから友達がいるのは幸せ、友達がいるのは寂しくない、友達がいるとき、自信がつくと思う。これから皆さんと協力して、日本と中国における障害者同士の交流のため、いろいろな仕事をしたいと思っている。

楽しい時は、いつも時間が速いような気がする。いよいよ帰国の日が近くなったので、寂しい気持ちが胸の中に広がってきている。約一年間の研修は本当に色々なことがあった。日本語が徐々に上達し、知識や見聞が広がった。また、大いに自信も付いたと感じ、この11ヶ月間は本当に有意義な日々だったと思う。

色々サポートしていただいたダスキンの皆様、たくさんご苦労とご迷惑をおかけした日本障害者リハビリテーション協会の皆様、研修で大変お世話になった皆様に心より感謝を申し上げたいと思っている。皆様のご親切とたくさんの愛にお返しするため、これからの仕事や勉学に頑張っていきたいと思っている。

top page