Duskin Leadership Training in Japan

活動報告

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第14期生 アンジャナの活動報告

9月の活動報告

9月はとても充実していました。私たちはたくさんのプログラムを実施しました。

チイズ(Teej)のお祭り

9月22日はチイズのお祭りでした。これは、女性のための一番大きなお祭りで、3日間ワイワイ楽しく過ごします。1日目は、おいしい物をずっと食べます。2日目は、全く飲食をせず、みんなで赤い服を着て、一緒に踊ったり歌ったりします。3日目はお寺に行きます。結婚している女性は配偶者の健康と長寿を、未婚の女性は素敵な男性に出会えるようにお祈りをします。22日、私の家に障害のある女性たちを招いて、みんなで一緒に色々なものを食べながら、歌ったり、ダンスをしたりしました。私たちはどこにも行きませんでした。

その日、私にとって一番大切だったのは、私のお父さんとお兄さんが訪ねてきたことでした。今まで、お兄さんは私の友だちと会ったことがありませんでした。今回、私はお兄さんに私の思いや活動を理解してほしくて、まじめに話をしました。「私はこの社会を変えたいです。でも、私の家族が変わらないと、私の夢は消えてしまいます。だから、お兄さんにも真剣に考えてほしいです。お兄さんは私にどんな妹になってほしいですか?ただ家の中にいて、寂しく生活する妹と、外に出て頑張っている妹と、どちらがいいですか。」と兄に聞きました。その時、お兄さんは何も答えてくれませんでした。ですが、兄は私の友だちと話をして、そのあとで「自分がやりたいことをしなさい。私はもう何も言いません」と言いました。このことは私にとって大切なことです。

みんなで楽しく話しています

みんなで楽しく話しています

友だちと家族一緒に
友だちと家族一緒に
JICAの人も手伝ってくれました
JICAの人も手伝ってくれました

バリアフリーチェック

9月14日、自立生活社会―ネパール(私の団体の名前)の7人で、四輪スクーターで2時間かかる遠いところまで行って、バリアフリーチェックをしました。道がとても悪くて怖かったです。そして、周りの人は私たちのことをびっくりした表情で見ました。レストランとトイレはバリアフリーじゃなかったから大変でしたが、友だちと一緒だったからとても楽しかったです。以前、スクーターに乗るのはとても怖かったですが、最近は大丈夫になりました。悪路を走る時やスクーターが動かなくなった時は、周りの人に手伝いをお願いしました。

みんなでバリアフリーチェックに出かけました
みんなでバリアフリーチェックに出かけました
段差があるところでは。。。
段差があるところでは。。。

ホームビジット

9月2日、同じ団体で活動しているマンジュさんと一緒に、シラさんの家に行きました。シラさんは私たちの新しい友だちで、骨形成不全症です。

私たちはシラさんもお祭りに誘いましたが、彼女のお母さんは出かけさせてくれませんでした。シラさんは「私も外に出たいから、お母さんを説得してください」と、私に何度も頼みました。ですから、私と友だちはシラさんの家に行きました。彼女のお母さんと話して分かったことは、お母さんも本当はシラさんを外出させたいということです。でも、おばあさんやおじさん、そしておばさんが、「シラに外出させると、家の恥になる」と言って反対をしています。シラさんのお母さんは、「私が娘より先に死んでしまったら、おじさんやおばさんに手伝ってもらわないといけない。彼らの気持ちを逆なでするようなことはしたくない」と言いました。将来のために、今の生活を犠牲にしても構わないという考えを、私は理解できません。「私たちの自由はいつのためにあるの?昨日のため?今日のため?明日のため?」帰り道、マンジュさんと私はずっとそのことを考えました。シラさんとは翌日のプログラムに一緒に参加する約束をしていたので、次の日も彼女の家に行きました。お母さんは、シラさんが私の家で1日過ごすことを許可してくれました。

家に会いに行った時のシラさん(中央)
家に会いに行った時のシラさん(中央)
プログラムに来た時のシラさん(右から2人目)
プログラムに来た時のシラさん(右から2人目)

9月21日、人権擁護団体でボランティアをしている人たちの会議に行きました。その人たちは、時間のある時に色々な活動しているので、障害がある人の活動に協力してもらえるよう、お願いをしました。みなさんは、「時間があれば、もちろん手伝います」と約束してくれました。

私たちのプログラムの概要を見てもらっている様子

私たちのプログラムの概要を見てもらっている様子

ILP-するために

私と一緒に生活する12歳の女の子を見つけました。その子は、田舎で暮らしていて、お父さんもいないので、とても大変な生活をしていました。これから彼女は私と一緒に生活します。日中、彼女は学校に行きます。朝と夜は、私のことを手伝ってくれます。友だちと私は彼女を連れて学校へ行きました。

私は身体がとても小さいので、古いテーブルの脚を切りました。これで料理をするのが簡単になりました。テーブルが低くなって、私の家はもっと楽しい場所になりました。障害がある友だちが遊びに来た時、「今日はあなたがご飯を作りますか?」と聞くと、友だちは嬉しそうに「はい」と答えます。私も前より上手に料理を作ることができます。家にたくさん友達が来た時は、近くの大学に通っている友だちを呼んで手伝ってもらいます。

一緒に住む子
一緒に住む子
大学から来た学生さん
大学から来た学生さん

女性の会議

9月23日、私の家で障害がある女性の会議を開きました。話し合いのテーマは、「私たちが作った小物をどこでどうやって売るか」でした。会議にはシラさんも来たので、彼女のこともたくさん聞きました。アンジュさんはみんなのために料理を作りました。

女性たちが作ったもの
女性たちが作ったもの
ラーメンを作っているアンジュさん
ラーメンを作っているアンジュさん

We do too…A Campaign(私たちもできます。。。ひとつキャンペーン)

9月29日、30日に、We do too…A Campaign(ネパール語では‘We too…’と表記していますが、英語では分かりやすく‘We do too…’と書くようにしました )の活動がありました。29日は、私の家でずっと作戦会議をしました。その時、学校に渡す書類も作りました。障害のない友だちも呼びました。

30日、朝11時から4人はスクーターに、2人はバスに乗って、5つの学校へ行きました。これは私たちのcampaignの初めての日なので、とてもうれしかったです。初めて行った学校もありましたが、学生と先生と話ができてとてもよかったです。特に、学生と直接話ができたのは嬉しくて、気持ちはとても良くなりました。私が卒業した学校と大学にも行きました。学校に行ったのは9年ぶりだったので、先生はびっくりしました。教室には私が新聞に載った写真がまだ飾られていたので、学生時代のことを思い出しました。そして、友だちに会いたくなりました。先生たちは、「あなたのことはみんなが覚えていますよ。時々テレビに出ているあなたを見ると、嬉しくなります。」と言ってくれました。私は学生の時大変だったことを話して、バリアフリートイレとスロープを作ってほしいとお願いしました。

学校を訪問した時に、いろいろな話をしました。先生たちはバリアフリーな学校にするために頑張ると約束してくれましたが、私たちはこれから何度も学校に連絡したり、学校を訪問したりしないと、先生たちは約束を忘れてしまうかもしれません。ですから、先生方の電話番号とメールアドレスを聞きました。朝11時から夜7時まで、障害者3人と障害のない人3人が一緒にこの活動をしました。障害のない友だちも喜んで活動を手伝ってくれました。帰りが遅くなったので、みんなは私の家でご飯を作って食べて、私の家に泊りました。私はとてもうれしかったです。このキャンペーンをみんなで一緒にできれば、私たちの生活もだんだん変わります。イベントの翌日、新聞やラジオで私たちの活動が取り上げられていました。それを見た時、また嬉しくなりました。

学校の先生と話している様子
学校の先生と話している様子
私たちのキャンペーンを紹介する新聞記事
私たちのキャンペーンを紹介する新聞記事

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