はがき通信ホームページへもどる No.79 2003.1.25.
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も く じ
ball ごあいさつ 編集顧問:向坊弘道
ball はがき通信からのお知らせ はがき通信
ball みなさん、ハワイヘようこそ 福岡県:向坊弘道
ball 排コンに朗報? 佐賀県:KN
ball 在宅リハビリをやってみて(その4) 頸損の頑張り屋
ball はじめてのお便り ヒデ
ball 玉葱おやじ寄生術 広島県:玉葱おやじ
ball 道草回覧板と言葉あそび第10弾 佐賀県:中島虎彦
ball 写真だより(その1) 熊本県:ノリタン
ball 引っ越しました 広報委員:麸澤孝
ball はじめての国内旅行空の旅(「DPI世界会議札幌大会」参加記) 神奈川県:伊藤道和
ball 写真だより(その2) 広島県:ハローマリ
ball ボランティア考 新潟県:TH
ball 読書メモ(3) 編集部員:藤川景
ball ひとくちインフォメーション



ごあいさつ

 15歳で亡くなった「脳性マヒ」の障害児の詩です。題名は「お母さん、僕が生まれてごめんなさい」とあります。
 ごめんなさいね おかあさん
 ごめんなさいね おかあさん
 ぼくが生まれて ごめんなさい
 ぼくを背負う かあさんの
 細いうなじに ぼくはいう
 ぼくさえ 生まれなかったら
 かあさんの しらがも なかったろうね
 大きくなった このぼくを
 背負って歩く 悲しさも
 「妙な子だね」とふりかえる
 冷たい視線に 泣くことも
 ぼくさえ生まれなかったら
                 (一部変更)
 この詩を読んだ時、子供の悲しみ、苦しみと同時に、母親を想う子供の心情に感動しました。私は、これほど母に感謝しただろうか、年を取って考えてみると恥ずかしいばかりです。
編集顧問:向坊弘道

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「はがき通信」からのお知らせ


《ハワイ懇親会情報の提供を希望する人を募集します》

 ハワイの懇親会情報の提供を希望する人の募集をします。これはあくまでも、参加するかも……でけっこうです。「はがき通信」3,5,7月号にも主な情報は提供するので、途中で参加可能の表明もできます。参加可能の表明者には随時、ハガキによって意見を聞いたり、アンケートをとったりします。
 懇親会の開催は、9月を予定しています。9月で、連休を避ければ航空券も安いでしょう。ホテル、交通は調べましたので4〜5月頃にお知らせしますが、あまり早くても良い情報はありません。
 募集に当たっては、3泊5日希望、4泊6日希望、それ以上の組の3つにわかれますが、たいした意味はありません。ホテルは、ほぼ1人1泊\3,500です。3泊5日の場合で1人10万円くらいの予算見込みとなりますが、航空運賃に左右されます。
 「はがき通信」懇親会は午前中のみ1〜2時間を2日間行い、観光に重点を置きたいと思います。これも、体調によっては出欠自由とします。初めてチャレンジするかたの勇気を期待しています。なお、希望者少数の場合は、中止する可能性もありますのでどうぞご了承ください。

 [問い合わせ・申し込み先]

 実行委員長 伊藤  道和
  E-mail: gorilla@kk.catv-yokohama.ne.jp
  実行委員  瀬出井弘美
   E-mail: h-sedei@js7.so-net.ne.jp




みなさん、ハワイヘようこそ

今回、市民ボランティアグループ「BUCH北九州・絵本とおはなしの会」の一員としてハワイ旅行に行くチャンスがあったので、ついでに四肢マヒ者の「はがき通信」購読者の懇親会が開ける可能性があるかどうかを調べてみようと思った。旅行へのチャレンジは、障害を克服する可能性を高める。懇親会はともかく、このレポートが四肢マヒ者のみなさんの旅行ガイドとして役に立てば幸いだ。
 私たちのグループ8人のうち頸損は私1人で、残りは健常者だ。6月25日、福岡空港集合17:00、出発は19:10。飛行時間は8時間。航空券は往復58,000円で、ジューンブライドの時期としては安い。出発後2時間くらいで食事が出る。それが済むとすぐに照明が消され、あとはほとんど睡眠時間だ。幸い4席を使って良いという日本航空乗務員の厚意で、寝て行くことができた。飛行機に乗るときは介助のために広いスペースが要るとか、いろいろ言ってみる必要がある。機内で使う空気ざぶとんは必携。
 滞在は4泊5日。機内で1泊増える。今回はインターネットでワイキキ海岸からわずか150mのホテル、「Pacific Monarch」(2427 Kuhio Ave.Honolulu,Hawaii,96815 USA)のコンドミニアムを2部屋、クレジットカードで予約していたので、1人の宿泊料は約1泊3,500円くらい。どう間違ったのか、フロントで「32階のペントハウスを追加料金なしでお使い下さい」というメッセージを受け取る。エレベーターでビルのてっぺんへ。戸を開けると青い空と眼下の紺碧の海が目に入る。思わず、一行は歓声を上げる。家具付き、自炊可のコンドミニアムなので調味料や洗面具のほか、薬、カメラ、現金などを持参。持ち物や洗濯物には名前を書く。現地は夏のよう。でも、スコールも降るので傘は必要。日陰に入ると涼しい。床ずれ治療にはいいようだ。スリが多いので、カード類は日本に置いてくる。保険は2,500円くらい掛けてきた。
ところで、車イスでの移動については、あらゆる市バスにリフトが付いているので困難はない。1回の乗車は1ドル半(180円)。ハンディキャブの会社も大手が2社ある。最大手は20台の車両と40人の運転手を持っている(TEL:524-3866またはTEL:536-0381)。出発地と時間、目的地、名前などを言って予約しておくと待たされない。観光に一度は乗ってみたい胴長のリムジンは格安のシンさん(TEL:389-9617)を呼ぶと空港まで35ドル(4,200円)、観光は1時間50ドルだ。彼は日本語ができるので、ガイドもやってくれる。

 ところで、私たちのスケジュール。
 1日目朝9時到着。バスにスーツケースを乗せてくれないというので、3時間ハンディキャブを待つ。これは痛恨の失敗だ。電動車イスの人だけが市バスで行き、他の人はスーツケースを運んでタクシーで行くとハンディキャブを待つ必要がない。日付変更線を越えたためか、体がだるい。午後、近くのハワイ動物園に入り、たくさんの動物を見る。「ヤー、兄弟、よく来たネー」とチンパンジーが全部こっちを向いている。緑の芝生で皆眠り込む。コンビニで巻き寿司などを買い込み、帰って夕方2時間寝る。夕食を食べるとまた早く寝てしまう。夜、高層ビルの窓から入る風は寒いくらいだ。
2日目朝、電動車イスの充電ができない。ハワイは120ボルトだ。240ボルト用を持ってきたのが悪かった。部屋に職業別電話帳がないので高校の先輩の牧野さんに電話をして、電気店の電話番号を教えてもらう。幸い、その変圧器はあるらしい。もう1人の男性メンバー、佐保さんにタクシーで買いに行ってもらい、午前中3時間の充電ができた。
 他の6人の婦人メンバーは、近くでショッピングに熱中して帰ってくる。コンビニで買った即席ラーメンで腹を満たした後、アラモアナショッピングセンターで午後はまたショッピング。女性はなんとショッピングが好きなんだろう。夕食はめいめい好きな物を買って帰る。私はうな丼。700円で、日本のよりおいしかった。
3日目ハワイの思い出に胴長のリムジンに乗る。3時間200ドル。オアフ島の南半分を回る。真珠湾では往時の艦艇が浮かぶ。午後1時、20年来の友人、ブルーム先生が来訪。1時間あまりが楽しく過ぎて、あとはベッドの上で排便の時間。これが旅行中の難関だ。
 夕方5時、皆と待ち合わせてアラモアナショッピングセンターの続きにある、ワードセンターへ。ショッピングのあと、メキシコ料理店で夕食。4人分の料理を8人で食べても、結局は1人分余ってしまう。アメリカ人は風船のように膨れている人が多く、日本人の食欲は取るに足りない。
4日目最後は自由行動の1日。午前中は免税店へショッピング。ほとんど見て歩くだけ。ほとんどの店に日本語のできる店員がいる。英語ができなくても困らない。午後は本願寺別院を訪問。途中の昼飯は昨日のおにぎり。やはり、こんな日本食がいい。日本寺院らしくないモスクのような真っ白い殿堂が青い空に映える。牧野先輩に会ってお礼を言ううちに電動車イスのバッテリーがなくなり、急いで帰る。今回は、島を1周回る市バスに乗れなかったのが悔やまれる。4時間かかるけれど、たったの1ドル半で島の状況がよくわかるコースだ。
 翌日は帰国。6月29日のハワイ出発時間は10:10なのに、8時間後の日本到着時間は翌30日の14:10と言う。これが曲者、日付変更線のマジックだ。しかし、帰りの便は日中に飛ぶので、疲れは少ない。私は3席を取って横になる。ハワイは、車イスの身障者が旅行しやすい外国だと思う。

福岡県:向坊弘道




排コンに朗報?

頸損歴13年、C3〜5不全、62歳

明けましておめでとうございます。午年だけあって、アッと言う間に駆けぬけた02年でしたが、「通信」の皆さんいかがお過ごしでしょうか。
 まず、77号でT.Hさんが「情報提供の呼びかけや問題提起があってもその返事が誌上に載ることはまれで、反響がどのようなものかわからず残念」と述べておられました。まさに同感です。
 ということで、年頭号には相応しくないと思いますが、ウンが向くということでお許しを……ハイ。以前、排便コントロールに悩んだ末、皆さんの実情を「通信」でお尋ねしたことがありました。質問の仕方が拙かったせいもあり、4人の方からのお答えしかいただけませんでしたが、統計もままなりませんのでそのままをあらましとして報告させていただきます。

[Aさんの場合]
①排便は1日おきの入浴前に、排便・入浴で約1時間半。
②緩下剤はプルセニド朝2錠服用→夜7時頃グリセリン浣腸2〜3本で摘便なし。
③その他、毎日朝夕、カマグ服用。
[Bさんの場合]
①週2回のいわゆる腸内洗浄。約40分。
②月・木(排便日)の朝8時半頃、プルセニド2錠とアローゼン2包服用→排便はその日の夜6時半〜7時の間。摘便などの刺激は残便確認程度。
③その他、下剤を飲まない限り出ない(羨ましいですね)。心掛けていることは、ア.水分を多く摂る。イ.海草など水溶性の食物繊維を多く摂る。ウ.ヨーグルトを食べる。エ.整腸作用のあるオリゴ糖を飲む。
[Cさんの場合]
①グリセリン浣腸(60㏄)使用、摘便なしで腹部マッサージのみ。
③その他、座薬だけでは便失禁が多く、2年前から浣腸を使用。
[Dさんの場合]
①排便日は2日半おき(例:一昨日の夜の次ぎは明日の朝)。頸損用レザートイレで約1時間。
②酸化マグネシウムを1日1回1グラム服用→座薬レシカルボンと浣腸使用。

 以上です。お答えいただいた方、本当にありがとうございました。
 ところで、「脊損ニュース」10月号で“盲腸ポート手術”のことが掲載されていましたが、これが現実に将来に向かってなんの障害も引き起こすことがないのであるならば、夢のような話しです。何の心配も気遣いもなく自由に外出でき、好きな旅行も心置きなくできます。不快感と不安で満ちた今の日々を思うと信じられないことです。アンケート用紙も同封されていて、内容の中に「通信」で尋ねたような事項も入っており、調査結果が発表されるのが楽しみです。
 ただ「手術を受けたいと思いますか」には、症例が35件(内:日本人1人・脊損6人)と少ないこと。皮膚のただれ、便汁の漏れ、管の損傷、浣腸による腹痛・嘔気などの術後合併症はないとのことでしたが、長年の生活の中で不安はないか。浣腸は血圧を下げるとされているが肛門からでさえそうなのに、虫垂部からの注入は自分のような低血圧者でも大丈夫なのか。……等々、神経質だとは思うが考えてしまい、「受けたい」の横に(条件付で)と記載してしまいました。自由を得るには、多少のリスクは受忍すべきか? 皆さんは如何……。
 話しは変わって“懇親会”の件ですが、私が初参加したのが広島会場の時でした。あまりの素敵な演出と強い感動が今でも忘れられません。Kさんの紹介にもありましたが、強力なネットがあったればこそ……であったろうと思います。私も基本的にはKさんの案に賛成ですが、そのブロックの態勢や地域によっては参加者数に極端に差が出ることをどう考えるかでしょう。「通信」で開催希望地を募り、絞り込んでいくのも一考かと思います。
 それでは、今年がいい年になりますよう祈念し、よろしくお願いいたします。

佐賀県:KN aki8081@ceres.ocn.ne.jp




 在宅リハビリをやってみて(その4)


 在宅リハの報告をして丸1年になりました。今回はまだリハビリの途中ですが、一応の区切りとして今までの身体の変化などを書いてみます。始めにお断りをしなければいけないのは、外見上は際だった変化がリハを始めてすぐに期待できないということです。リハをしたからすぐに足や手が動くと思わないで下さい。怪我をしてすぐの時でしたらある程度は回復が早いですが、時期が長くなるほど回復も遅くなります。
 私はこの1年間で、最初の半年は1日2時間のリハビリをやりました。その後2ヶ月は3時間にし、それから今まで4時間にしています。妻とヘルパーさんの3人で、1週間に5日の割合で、筋トレとストレッチを組み合わせてしています。
 まず始めに呼吸から入り、その後、腰の周りの筋トレをしました。始めに変化が現れたのは足の浮腫が取れ、氷のような足が暖かくなりました。次に腸の周りを刺激するので、ほとんど毎日のように便が出るようになりました。腹式呼吸のおかげで話す時の息切れがなくなりました。今、肺活量は3000㏄を越えていると思われます。その2、その3で報告したように少しではありますが、手足の動きが戻ってきています。感覚も少しはわかるようになりました。
 9月頃ですか、アメリカのクリストファー・リーブのことが新聞などで報道されました。3年間のリハビリと電気刺激などで手指や足が少し動くようになってきて、一部の痛覚も感じるようになったといったような報道でした。担当の医者は、どのような根拠でこのようになったのかはわからないと書いていたと思います。このように、リハビリを継続すれば何らかの結果は得られると思います。
 医学の進歩は早いです。確かな情報ではありませんが、3年後をめどに脊髄の再生の臨床が始まるかもしれないと聞いたことがあります。脊髄再生の道が開けても、肝心の麻痺をしているところの組織が使えなければ再生治療をしても意味がありません。少しでも元気なときの状態に組織を維持しておけば対応はできると思います。そういう意味でも私は動くところのリハビリだけではなく、身体全体のリハビリをやり続けるつもりですし、また、時間のある人には同じようなリハビリをされることを勧めます。
 終わりに私のリハのメニューを書いてみます。

<やり始めの頃のリハメニュー>
10.00〜10.40 電気刺激と足のストレッチ
10.50〜11.20 腹筋運動
11.25〜11.55 背筋を伸ばす
<半年後のリハメニュー>
10.00〜11.00 電子鍼とストレッチ
11.00〜11.25 前屈
11.25〜11.40 背筋を伸ばす
11.40〜12.00 椅子座位で前屈と端座の訓練
16.00〜17.00 手の運動
<最近のリハメニュー>
10.00〜10.15 枕を背中に入れ背筋と腹筋を伸ばす(両上腕を肩まで水平に上げ、筋肉の吊りで戻らないように脇の筋肉をほぐす…これを入れるときもある)
10.15〜10.45 手のストレッチと筋トレ
10.45〜11.00 身体を仰向けから横臥位にしたりして身体のひねり
11.00〜11.15 足の開脚と左足の開脚
11.15〜11.45 足への電子鍼とストレッチ
11.45〜12.00 L座で前屈起きあがり訓練
12.00〜12.40 起立
15.00〜15.40 椅子に座って両手首を縛り前屈と起きあがり
15.40〜16.00 両腕と大胸筋の強化の筋トレ
夜40分   ペダリング
 

頸損の頑張り屋



はじめてのお便り


 はじめてお便りします。いつも、「はがき通信」を読ませてもらっています。皆さんのお便りを見て励まされたり、役に立つことが多いです。
 私はC−3,4の脊損で受傷3年目で全介助ですが、近頃、けいせいや痺れがひどくて困っています。せきそんセンターの主治医に相談しても、しかたないとのことであきらめています。今のところ家族の協力で自宅で生活していますが、どうしても大きな負担がかかりますね。
 今年はインフルエンザが大流行するそうで、お互い風邪に注意しましょう。



玉葱おやじ寄生術 


 重度の障害を持つ知人から「リフトカーと運転手さんを見つけてくれ」と連絡があり、玉葱の友人に電話をかけて手配できた。昨今はたびたびいろんな人から用事を頼まれる。自分の身を自由に操れない玉葱に、用事を頼む人の気が知れないと楽居は呆れている。頼まれたことを安易に承諾する、玉葱の無神経ぶりを案じる楽居である。玉葱は話の取次ぎをしているだけで何のことはないように思うが、側で聞いている楽居は無責任に思えて気が気ではないらしい。用事を頼まれるほど期待されたり当てにされている訳ではないことを自覚しながら、友人から先ほどのような依頼があると張り切ってしまう。
 頼んでくれた友人が「アリガトウ、助かったよ」と連絡があると嬉しい。何よりも楽居が喜んでくれるので……モシモの、期待に沿えなかった場合を想定する楽居の、不安が外れると大いに喜んでくれるのである。
 私たち夫婦は介護度の大きい重度の障害を持つ身で、当然のこととはいえ介護者の労に頼らねば暮らしは成り立たない。それに社会参加だとか地域での活動となれば介護・介助は級数倍となる。意欲的になればなるほど不本意ながら介助や介護の量が増えるのは気が引ける。ボランティアさんの助っ人を頼もしく思う玉葱は、共に何かをやりたいと望む。その気持ちをたゆまず、諦めず、粘り強く保つには秘訣がある。その秘訣は寄生虫的生き方を提唱したい。全面介護を受ける身の玉葱は、生きているだけで世の中の厄介なお荷物のように自虐的に思ったときもある。
 しかし、慣れとは恐ろしくも頼もしくもあるが、不自由を常と思えば不足は少なくなり、足りることの多いことを知るのである。とはいえ、物欲は減っても人との関係や世間との関わりを減らそうとは思わない。世間は障害者の社会参加を提唱しているが、本当は出てこないでほしいのである(逆説)。なぜなら、費用が膨大にかかり、障害者の活動資金など余裕がないと思う。財政赤字の裏読みをすればおおよその見当がつくのである。
 そこで、障害者は、取りわけ頸損者は寄生の精神で活きなければならない。寄生とは不穏当な玉葱の発言と思うかもしれないが、世の中に一方的利害は長続きしないのが普通であるから、寄生生物は死滅するはずである。脈々と生き延びる寄生生物の秘密は、共生と紙一重の裏腹の関係を築いているのであろうと思う。持ちつ持たれつの関係を保つために、相手に何を返せるかを考えながら寄生を続けるのである。
 現在まで相手から恩恵ばかり受けている玉葱だから、せめて頼まれたことには誠心誠意対応したい気持ちになる。頸損者の社会参加は大変な労力と費用を強いられるが、それをたゆまず、諦めず、粘り強く実践すればバリアフリーの加速が計られると行政の人が言ったとか言わないとか。
 楽居に「あなたは懲りない人ね」と言われ続けて今日も外出の段取りに余念がない。寄生は共生なり……恩恵ばかりじゃ息苦しく、閉塞感にさいなまれるので今年も徒労の奮闘で愚考を発信したいものだ。

広島道:玉葱おやじ ecosakohata@do2.enjoy.ne.jp



  道草回覧板と言葉あそび第10弾


ふりつのる黄砂も吸って背伸びするイチイタイスイイチレンタクショー
道端の草も私のものじゃなく雀のエンドウ烏のエンドウ
山里の老人クラブおつまみは創設以来ちくわてんぷら
さらえてもさらえてもまた繁りだす葦(よし)から一字いただいている
よそんちのテレビの濃さが気にかかりつつも言えない回覧板
盲目の夫に妻も歌手デビューどこまでつづく美談ぬかるみ
悲しみに磨かれてゆくっていうこともあるんだろうな新緑の道
日本のアニメがのしているというカラオケよりはましと言えるか
肉弾になるしか仕事がないという砂漠と瓦礫ばかりの国で
釜山まで日帰りの旅ともかくもアジアを一度踏みしめたくて
そうせずにいられないからああしてるだけなんですよ富弘さんも
女子アナに歌集を贈り数ヶ月いい夢見させてもらいました
ランディーのくねくね日記おやおやと読みつぎながらへのもへ日誌
うれしののソープランドの呼び込みに一度も声をかけられたことがない
バスタオル巻いて湯に入るレポーターをひっぱたく頑固じじいがいない
たいていのウエイトレスは連れのほうに聞き合わせてくるレストラン
さらさらの髪がそんなに嬉しいか排水溝をぶつぶつぶつぶつ
車いす座りとしてはコンビニのジベタリアンに違和感はない
稲荷寿司をごちそうとは感じなくなって惣菜売り場ひんやりとゆく
不景気でもバブルのころにもどりたいとは言わせないゼネコン通り
きんたまはラジエーターか車いすの前をはだけて野の道をゆく
丹精をしてもしなくても軒々にノウゼンカズラは咲きこぼれだす
ほがらかになれぬ家系の末席を汚しておりまするひとり
蛍雪の候まだ見ぬ妻がカップラーメンを喉に詰まらせている
おやじギャグでも飛ばしていなければやってられない大寒のころ
太ったかと聞かれるたびに押尾川部屋にでも入ろうかと思いまして
いまもって火曜水曜木曜が読み分けられない日誌をつづる
男らしく女らしくはすたれても人間らしくはすたれない冬
平成の大合併の合唱にちょっと待ってと電動車いす
つくづくと変な大人が増えてきて電動車いすから伸びをする
既視感を味わいながら大丈夫まだまだ焼きは回っていない
みそっかすばかりで戦後日本が支えられてきたわけじゃなかろう
アメリカはなぜ嫌われるのかというシンポジウムも開かれる国
ユーモアを解さぬ土地に住みながら小松多聞も困ったもんだ

[言葉あそび集]

罪のない向こうの民、栄養映画をほこる、飲みこみの見こみ、飯田市っぺ、ああせいこうせい副大臣、閣下するなよ、宇多田ヒカルの結婚話でひっきりなし、いい女に成田愛、長崎ちゃらんぽらん、ひがんでない花、ヤッホー!検索できたぞ、Gメンの渋面、サーバ移転をさあ売店で待とう、日本一のかまとと婆さん、エッチ出版のアイドル写真集、A級保存版、女性菌の不足、ゴーン氏が警鐘を鳴らす、Nissan has Gone.足つり岬、ブリっ子のはまち、さだめしうまいことだろう、北朝鮮の不埒な行い、幕末の筋脳砂漠派、しすせそのまみむも通りをりるれろ言葉のちつてとがかきくこでたちつとしながらたつてとしたとさ、パソコソするな、車の免停なんす、ままならぬ母、ヤマメといわない、手にショックをつける、びびぶぶべべぼぼをする、鬼のいぬ間の洗濯岩、目盛りの思い出。(つづく)
佐賀県:中島虎彦 nakaji@po.saganet.ne.jpメール

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