はがき通信ホームページへもどる No.73 2002.1.25.
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も く じ
ball ごあいさつ 編集委員:瀬出井
ball 「はがき通信」懇親会in京都 編集顧問:向坊弘道
ball 人工呼吸器とさよならする方法を教えてください 新潟県:TH
ball 「NPO法」で介助者派遣事業はできるか 東京都:TA
ball 共同生活をして下さる方を探しています 島根県:MO
ball No.72「顔文字の出し方」の訂正 MH
ball 在宅リハビリをやってみて 頸損の頑張り屋
ball 大きな感動をもって 右近清
ball 21・頸損者群像 愚臭玉葱 広島県:玉葱
ball 子供の虐待は、やめてほしい HY
ball 皆無事に過ごすことができた1年 埼玉県:HS
ball フィリピンにて 編集顧問:向坊弘道
ball たいへん有意義な在宅リハビリ研修会を持つことができました 西村みどり
ball 横浜懇親会・講演(頸椎損傷者の尿路管理とsexuality)
ball ご協力を!日本せきずい基金 日本せきずい基金
ball 緊急事態 不審メールにご注意下さい
ball ひとくちインフォメーション


ごあいさつ

 これを書いているのは12月ですが、この「はがき通信」が発行されるのは新年が明けてからということで、皆さん、明けましておめでとうございます! そして、今年も「はがき通信」ともどもよろしくお願い申し上げます。
 少し前に、インターネットならではの奇遇な出会いがありました。障害者のパソコンボランティアをしているという、「はがき通信」のホームページを見た女性からですが、その方の旧姓がナント「瀬出井さん」! 全国に100人はいないかなという名字なので、突然メールが来たときは本当にビックリしました。出身地も同じなので、ご先祖様はきっと同じでしょう。私の知らなかった瀬出井家のルーツもわかり、何だか不思議な気分です。年齢も近いので、その後、オバサンメル友になりました。
 名刺を持たない私ですが、「瀬出井」という名字自体がもう名刺代わりみたいなものですね。悪いことはできません。(笑)
 さてさて、今年もまた懇親会が開催できそうですし(まだナイショ?!)、今年はいったいどんな出会いがあるでしょうか。とっても楽しみです。一人でも多くの方に出会い、「瀬出井弘美」という名前を覚えていただきたいと思います。

編集委員:瀬出井弘美

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「はがき通信」懇親会in京都

 2002年明けましておめでとうございます。今年の「はがき通信」懇親会は会期:9月28・29・30日、場所:ハートぴあ京都(京都の中心部、中京区烏丸丸太町)と決まりました。詳しいことは「はがき通信」5月号で発表し、9月号で申し込み要領をお知らせしますので、8月以後に参加をお申し込み下さい。よろしくお願いします。

編集顧問:向坊 弘道




人工呼吸器とさよならする方法を教えてください

45歳。C4。頸損歴10年め。施設5年め。夜間と作業時人工呼吸器使用。電動車イス

 はじめてお便りいたします。「はがき通信」の存在は受傷2年めの1994年秋にリハビリ専門病院に3ヶ月間だけ入院させてもらった時に教えていただいておりました。受傷以来、あらゆる情報に枯渇していたのですが、その時はまだ読書方法の訓練中で「いつかは申し込もう」との思いだけで終わってしまいました。

 その後いろいろあって、ようやく「はがき通信」を拝見したのは昨年の春からです。インターネットを通じてでした。しかし、その情報が私に力を与えてくれました。というのも「はがき通信」の項目別索引で「人工呼吸器」を拝見し、さらにそこに載っていた参考雑誌を取り寄せて、人工呼吸器を使っていても「カフのないカニューレ」にして発声している人がたくさんいらっしゃるとの記載を見たからでした。それまでは「人工呼吸器使用=カニューレにカフは必須」との「常識」?に捕らわれていたのでした。この「常識」は私の周囲の医療関係者の方々にとっても「常識」であったようで、私のほうから参考雑誌の内容を示して「確信を持って」希望しなければ「カニューレ変更の安全確認のための入院」などは残念ながら許可が出なかったのではないかと思われます。「カフのないカニューレ」にして、十分とは言えないにしても私はそれまでの蚊の鳴くような「か細い声」とは比較にならないくらいの声を得ました。「はがき通信」の情報に心から感謝するものです。

 実はこの入院は「人工呼吸器完全離脱」という目的もあったのですが、肩での呼吸が大きすぎて夜間眠ることができず、また昼間作業のためにギャッチアップする時も疲労が激しく、残念ながら人工呼吸器を引き連れて帰ってきました。また、肺機能のリハビリについては具体的方法がない(疲労はむしろよくない)とのことで、現在手詰まり状態にあります。

 そこで質問です。‥‥この後どのようにしたら人工呼吸器とさよならできるでしょうか? 具体的には、腹式呼吸の強化法、夜間睡眠を実現するための精神的克服法、手順等です。人工呼吸器とさよならされた方々等の経験談、御助言をよろしくお願いします。なお、私の現状のウィーニング時間は退院後から訓練を始めて、1日平均6.3時間です。

新潟県:THth36th@hotmail.com




「NPO法」で介助者派遣事業はできるか 

 「NPO法」のことで都庁に行って来ました。その報告です。
 2003年4月から障害者ホームヘルパー制度が変わるので、選択肢の1つとして自分で介助者派遣事業をやってみようかと思って調べているのですが、やるのならNPOを取るのが早道だと聞いたので、都庁にNPOのことを教えてもらいに行ったのです。
 あらかじめ予約をして行くのですが、混んでいるらしく電話をした日の2週間後でないと空いていませんでした。
 予約時間が午後1時15分から2時15分(おおむね1時間)だったので家を11時に出て、新宿に出てから昼食を摂るとお昼時間になっていてお店が混んでいるだろうから町田で食べていくことにして駅へ。
 余裕を持って家を出たつもりが時間がなさそうなので、早く食べられる店は吉野屋か、マクドナルドなのでマクドナルドへ。店に11時30分に着いたらまだ空いていたけど食べ始めたら混んできた。10分違うと大きい。
 新宿に着いて、京王プラザホテルに入る、歩道から入ったのにそこは3階。そこを通りぬけ歩道に出てから都庁議会棟に入ったら、そこは2階だった。そこでエレベーターで5階に行き、渡り廊下を第一本庁舎に行ったらそこは3階だった(どうなっているんだろう?)。
 24階にある「生活文化局都民協働部市民活動推進課」(長ったらしい名前でとても覚えられない)に行った。受付があり、名前を言うとさっそく相談にのってくれる。ついたてで仕切られたテーブルがあり、空いている場所で相談するシステムのようだった。
 職員がやってきたので挨拶もそこそこに質問をする。その前に「事務所はどこですか?」と質問され、まだないと言うと、事務所がないと、と言われたので2003年4月から介助者派遣をするのでと言い、結局自宅を事務所ということにした(ここに相談に来る人はもう少し準備をしてから来るのかもしれない)。
 僕が介助者派遣をNPOでやりたい、と言うと、それだけではNPOの認定は難しいと言われた。介助者派遣はいろんな所でやっているので、なにもNPOでやることではないと言う。もしNPOを取りたければ、民間でやれないこと、例えばILPや、ピアカンや何かを付け加えないとと言う。
 (僕は障害者に理解のある不動産屋調査や、障害者関係のシンポジウムに行くので、それの情報提供ということを加えればいいか)
 それから理事の「リスク」について聞いた(NPOには理事が3人以上いるのだが、なかなか理事になってくれる人がいない)、何かあったら無限責任があると言う。僕は介助者派遣は市からお金が出るのでリスクがないと思っていたが、ヘルパーが仕事中どこかでケガをしたら補償できない可能性がある(ホームヘルパーは市内で仕事をすることになっているが、僕は市外にも連れて行くので、万一そこで事故にあうとヘルパー保険がきかない可能性がある、しかも労災も)。
 だけど市外でも補償してもらえる保険を探してヘルパーに入ってもらえばいいか。
 その他NPOの年間計画のことや、事務所を借りる話と今活躍しているNPO法人の閲覧のやり方を教えてもらう(受付に行って、そこに置いてある本から見たい団体を見つけて、申請書を出せば見せてくれる)。
 時間があったので2つの団体の閲覧をする。生協の介助者派遣をやっている団体の書類を見ると理事がたくさんいる。これだけの人がリスクを負ってもやってもいいと思っているんだと感心した。
 他のテーブルを見ると会社員の方々が熱心に相談している。今日わかったことは、NPOはただのお金儲けではできないこと、リスクを負ってもいいという人を集めないと無理だと思った。
 では、また。

東京都:TAakasu@mail4.alpha-net.ne.jp




共同生活をして下さる方を探しています 


 共同生活をして下さる方を探しています。私は60歳になりました。母(84歳)と民芸品張り子の制作販売をしているものです。張り子の制作も、車の運転も20年になります。母も年をとり他に父(89歳)と弟(58歳)と4人家族です。張り子の仕事を手伝って下さる方、島根県桜江町という小さな町で畑も少々あります。趣味はスポーツと自然です。庭の大きな木に巣箱をかけて夏はツバメが巣をかけに帰ってきます。緑の多いきれいなところです。
 人生のモットーは、明るく前向きにプラス思考で生きるとやる気です。
 元気で明るくやさしい人、張り子に興味のある方を探しています。年齢は50歳ぐらいまでの方で共同生活をして下さる人を探しています。

島根県:MO



  No.72「顔文字の出し方」の訂正


 どこかで間違って、混同していましたので、解りやすく書き直します。
「顔文字の出し方」
 日本語入力(MS−IME)タスクバーの「あ」とか「A」とかを右クリック−変換モード−話し言葉優先−こうしておいて、本文に「かお」と入力、スペースキーで変換すると顔文字がずらっと出ます。(@_@)
「メールにサウンドを入れる方法」
 私のPCでの方法ですから少し違うかも知れません。新規メールまたは返信−書式−リッチテキストに●−書式−背景−サウンド−参照−下の窓のファイルの種類でMIDIを選ぶ−送りたい曲名をクリック反転−開く−回数−OK です。
 曲がたくさん入ったURLです。ダウンロードして保存して下さい。
URL:www.asahi-net.or.jp/~YW4Y-OOb/j-index.html
URL:www4.justnet.ne.jp/~shikaya/index.htm
 URLを開く−例えば「世界の民謡」−好きな曲名を右クリック−対象をファイルに保存−私のPCは保存する場所が何故かブリーフケースになっていますので、それを選んで−保存−ダウンロードが完了したら−閉じる です。 

MH:hirakawa@ruby.ocn.ne.jp



 在宅リハビリをやってみて

C-3。受傷後6年。妻の介護で在宅生活。

 私は頸髄損傷(C−3)で受傷後6年、妻の介護で、在宅生活をしている者です。今年初めの「はがき通信」で右近氏と森さんのリハビリを知り、8月より右近氏の助言を受けて、リハビリを始めました。始めたときの残存機能は、右手が少し動く程度で、後は胸から下はすべて完全麻痺の状態でした。幸い起立性貧血はなく健康面は優良な状態でした。
 まずどうしてリハビリを始めたのかということですが、2年前のせきずい基金から送られてきた、パラブレジア医学会でのドイツの研究発表に、起立台などで訓練した人が十数人歩けるようになったというような記事が載っていた記憶があったのと、右近氏と森さんのリハビリの記録を読み、リハビリをすれば、歩けなくても踏ん張って立てるまでにはなるのではないかと思い右近氏に連絡を取り、リハビリのメニューを組んでいただきました。
 次にリハビリのメニューと時間ですが、一番に重点を置いたのは、腹式呼吸のマスターと腹筋および背筋の強化と、電子鍼による末梢神経の刺激で、神経の覚醒を促す目的で、1日2時間の訓練時間で始めました。(右近氏の話では、すべての動作は、腰を中心にして動いているので、まず腰の周りの強化がすべての始まりということでしたので腰回りから始めました。)
 次にリハビリをしてもらえる人間を確保することです。最低2人は要ると思います。私の場合は、妻と市の社協のヘルパーさんです。この2人のリハビリをしてもらえる人を確保できたのも、リハビリを始められた要因です。
 最後はリハビリに疑問を持たず、とりあえず始めてみようと思ったことです。それと、私にはテレビかパソコンぐらいしかすることがなく、何か1つでも目的のある生活を送りたかったのもあります。
 以上のことから、私は8月よりリハビリを始めました。
 始めて1ヶ月は、目に見えた変化はありませんでした。ただ、お腹に僅かですが筋肉が付いてきたような違和感を感じました。それと、声がはっきり出るようになったのと、息継ぎが以前より楽になりました。もう一つ、足の血行が良くなったように思われます(血行に付いては、私の担当の訪問看護婦さんが、最近足が暖かくなってきていると、このころから言われました)。

 2ヶ月をすぎた頃になると、椅子で端座が10秒ほどできるようになりました。このころからほとんど毎日のように便が出るようになりました。お腹の違和感は以前より腹筋や背筋が付いてきたのか、前よりひどくなりました。両足の感覚も、痛覚だけですが感じるようになりました。痺れはこの頃から出るようになりました(痺れがあるということは神経が繋がっているということ。これは右近氏の言葉です)。

 3ヶ月をすぎる頃になると、端座は30秒から1分近くまですわれるようになりました。ちょうどこのとき、在宅リハの研修会があり、改めて呼吸法や、肩胛骨の周りのストレッチの方法を教わり、これが後々非常に役立ちました。この頃はもう腹筋や背筋が付いてきたのか、お腹の違和感は完全に消えていました。椅子にすわるのも、以前であれば、少し背もたれが倒れてなければいけなかったのが、逆に直角に近いほうがすわりやすくなってきていました。普通の肘おきのない椅子にも難なくすわれるようになったのもこの頃です。

 4ヶ月を過ぎるようになっての変化は目に見えるようなものはありません。端座はこの1ヶ月で、約2分から3分ぐらいになりました。端座の姿勢も以前より意識して、背筋を伸ばすようにできるまでになっていました。そして、以前はできなかったバランスも、わずかですが頭で取れるようになってきました。リハビリ研修会で指摘された、肩胛骨の周りの筋肉の凝りは、ストレッチでだいぶ取れてきて、肩の可動域も増えてきました。やはり筋トレをした後は必ずストレッチが必要だということが分かりました。それにこの頃になると椅子座位で110度ぐらいの角度ですわった状態から、手を固定してもらって腕と腹筋で起きあがれるようになりました。

 今、12月を1/3すぎたところです。訓練を始めて4ヶ月半経ちました。当初の目標であった「今年中にはある程度端座姿勢がとれるようになる」は何とかなりそうです。来年はじめの「はがき通信」でこの原稿が出る頃は、立位の訓練に入っていると思います。
 「はがき通信」の読者の中には、何でいまさら訓練や、とか、訓練してもしょせん立つぐらいでは意味がない、そんなんでは訓練する時間を他に回したい、など思われる人もおられると思います。しかし、やってみて良いところもたくさんあります。身体の血行が良くなりました。運動することにより胃や腸に刺激が入り便が出やすくなりました。頸損特有のお腹だけが大きくなることが、運動により身体がしまってきます。手や足の浮腫が完全に取れました。など、良いところもたくさんあります。時間のとれる人でやる気のある人には、私はリハビリをすることをお勧めします。
 森さんは歩くまでに4年訓練されました。私はまだ4ヶ月少しです。歩けるかどうかは分かりませんがもう少し訓練するつもりです。これからも、途中経過は報告します。 

    頸損の頑張り屋


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