はがき通信ホームページへもどる No.150 2014.12.25.
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も く じ
ballごあいさつ 広報担当:麸澤 孝
ball「はがき通信」からのお知らせ(新編集担当者紹介)
ball自分を好きか嫌いか 匿名希望
ball障がい者初級スポーツ指導員養成研修会の講師をして 福岡市:Y.S.
ball全員参加企画いいモノ見つけた!〜14〜 東京都:F川
< 特集! 「はがき通信」懇親会in福島2014」 >
☆ 懇親会が終わって 懇親会世話人: 麸澤 孝
☆ 「はがき通信」懇親会in福島会計報告 会計担当:瀬出井 弘美
☆ 4都県頸損・はがき通信 合同交流会と被災地視察を振り返って 福島県:T.S.
☆ 震災から3年半、ようこそ福島へ! 福島県:T.S.
☆ 「はがき通信・4都県頸損 福島合同交流会」に参加して 北海道:A.S.
☆ 「はがき通信」懇親会in福島に参加 新潟:T.H.
☆ 福島へ行ってきました 神奈川県:F.H.
ball『臥龍窟日乗』−霧笛海峡〈2〉− 千葉県:出口 臥龍
ball「はがき通信」の道のりをたどる(その1) 兵庫県:土川 忠浩


ごあいさつ

 《150号記念のごあいさつ》

 1990年2月、「はがき通信」1号は発行されましたが、早いもので今号で150号を向かえました。1号は向坊さんのあいさつ、私(麸澤)の自己紹介、頸損関連ニュースが2つ、あとがき、と本当に簡単なものでした。そのころ私は入院中であり療護施設(当時)に入所して一生を施設で暮らすことで自分の障害を受け入れ、あきらめにも似た気持ちもあったことを今でも覚えています。
 療護施設に入所し5年後、地域に出ることになりますが、その情報、知識、人との関わり、勇気、そして最後の一歩を教えてくれたのは「はがき通信」であり、「はがき通信」を講読、投稿してくれる全国のメンバーがあったからと思っています。そして今現在も「はがき通信」の情報や各地で精力的に活動する皆さんの姿が、別の購読者の情報や活力につながっているのだと思います。
 私自身、全国で生活する皆さんと懇親会でお会いできること、「はがき通信」誌面から情報をもらうこと、それを150号まで続けられたこと、本当に感謝しか言葉になりません。インターネットで情報をすぐにやり取りできる現在ですが、それ以前から障害を持つ当事者が生の声や経験を伝え、それを必要な方に届けてきたことは本当に素晴らしいことです。私も病院生活が長期になり途方に暮れているときに「はがき通信」の皆さんの声にどんなに励まされたことか、最近のように感じます。
 これから先、どのくらい「はがき通信」を続けられるかわかりません。編集担当者も毎日の生活を削りながら編集に費やしています。サポートしてくれる方も必要です。「はがき通信」を継続できるよう、ぜひ皆さんのご協力もお待ちしています。
 「はがき通信」150号を発行できること、編集校閲メンバー、投稿してくれる皆さん、購読してくれる皆さんに改めて感謝申し上げます。
 

広報担当:麸澤 孝



 「はがき通信」からのお知らせ 


 (1)新編集担当者のご紹介
 かねてより誌面で編集担当者を募集していましたが、9月にメールにて戸羽さんより手を挙げていただきました。まずは編集の練習をしていただき、その後戸羽さんのご意向を確認して、新年2月号より編集を担当していただくことになりましたのでご連絡いたします。
 おかげさまで3人の編集担当体制となり、重度障害者ゆえ一人が長期入院などの事態にも、複数での編集体制が整いました。

 ◇編集担当 新任あいさつ

 (50歳、頸髄損傷、C5、四肢マヒ、8年目)
 読者の皆様、はじめまして。戸羽と申します。4か月ほど前にホームページ版「はがき通信」を読み始めたところ、編集担当の募集記事を拝見しました。あるSNSの身体障がい者コミュニティーに参加して、使いものにならず、がっかりしたことがありますが、「はがき通信」は、私にとって有益な記事が盛りだくさんで、生きる勇気も出てくる気がします。
 負傷以前は通信事業の会社で営業に携わっていました。趣味は音楽です。転勤の度に地域の音楽仲間を探してアマチュアバンドを組んで楽しんでおりました。



 現役のスタッフの方々からご指導いただきながら、精いっぱい頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。皆様には、よい新年をお迎えいただきたくお祈り申し上げます。
 札幌市:戸羽 吉則

 (2)会計監査人のご紹介
 2014年度・2015年度の任期2年間の「はがき通信」会計監査人を上野栄作さん(福岡市在住・頸損者)に引き受けていただきましたのでご連絡いたします。上野さんどうぞよろしくお願い申し上げます。
 なお、2014年度の会計監査報告は、来年4月号の誌面にてご報告を予定しております。




 自分を好きか嫌いか 


 イタリアのサッカーリーグ、セリエAのミランに所属する本田選手。昨年度の不調とは正反対に存在感を示している。フリーキックから見事なゴールを決めた試合もあった。ほかにもキックを蹴りたい、と主張する選手もいたが、譲ることなく、蹴り、見事にゴールを決めて見せた。相当なプレッシャーがかかっていたことだろう。おそらくだが、本田選手は外すことなどわずかばかりも考えていなかったのではないか。それ故に絶対的な集中力が生まれ、ゴールは生まれた。かつて、戦う前から負けることを考えるやつがいるか、と言い放ったスポーツ選手もいたが、勝つこと、成功することを信じる力は偉大だ。
 その本田選手は、「自分のことを大好き」と公言している。おそらく、長所も短所もすべて含めて大好きなのだろう。
 さて、私はどうだろう。私は自分を好きとはっきり言えない。行動力がなく、思慮深さに欠ける。そして何よりこの動かない身体が嫌いだ。
 「その身体で生きてきたからこそ、得たものや学んだこともあるのでは?」と幾度も問われたことがある。もちろん、その通りだが、それでも嫌いに変わりはない。したいことの99%は我慢しなければならない現状。そのことが嫌いなのだ。
 この動かない身体を個性と考え、好きになってうまく付き合っていけば、もっと可能性を広げられる生き方ができるのかもしれない。
 でも、クッキー一枚、うまくつかめない動かない指。わずか3メートル先の冷蔵庫にあるお茶を飲みに行けない動かない足。あれをしたい、これもしたい。そう思いながらも、いくつもいくつも諦めなければならなかった。そのような日々の積み重ねが自分嫌いになった理由なのかもしれない。
 ただ時々思う。この身体を好きと言えるのが強き心なのか、嫌いと言えるのが強き心なのか。答えはわからない。もしかしたら私の考えも、不正解ではないのかもしれない。だから私はこの動かない身体を嫌いなまま生きてみようと思う。
 大輪は咲かせられなくても、小さな花を長く咲かせられるかもしれない。

匿名希望



 障がい者初級スポーツ指導員養成研修会の講師をして 

C6

 先日、福岡市の平成26年度初級障がい者スポーツ指導員養成研修会の講師をしました。場所は、福岡市立障がい者スポーツセンターの体育館でした。数年前、ご縁があって機会をいただき、今年で5回目くらいになります。養成研修会全体で11月8日(土)、15日(土)、16日(日)の丸3日間のカリキュラムの内の2時間で、内容は、前半が私の(スポーツ)体験談の講義、後半がツインバスケットの体験をするというものでした。

 講義は大きく
 (1)ケガをして就職するまで
 (2)ツインバスケットについて
 (3)陸上競技について
 (4)車いすラグビーについて
 (5)まとめ(私の希望)

 という構成です。
 内容は、「はがき通信」の130号以降で掲載されますので、ここではふれないことにします。

 福岡には、水泳の梶原選手、ゴールボール(鈴入りボールを転がし、ゴールに入れることで得点する視覚障害者の球技)の浦田選手、小宮選手、車イスマラソンの山本選手、副島選手(ロンドンパラリンピック4位入賞)、洞ノ上選手(ロンドンパラリンピック6位入賞)……と障害は違えどもパラリンピックで活躍された選手も多いのですが、なぜ私が選ばれているのかということを考えて、それぞれの競技以外の部分、例えば、頸損ならではの苦労・工夫、大会の行き帰りでのハプニング等をまじえて話をするようにしています。私には、ギリギリにおいこんだトップアスリートとしての話はできません。当たり前ですが私が話せることを話しているだけです。そして気を付けていることですが、原稿全部を事細かに話すとおそらく2時間近くになってしまうので、つながりをきらないように意識しながら話すようにしています。今年は、50分ぐらいでまとめられたのでまずまずだったと思います。
 後半は、受講者がそれぞれバスケット用の車イスに乗って実技の時間です。福岡県障害者スポーツ協会の主任指導員であるY先生にバトンタッチし、私も受講者に交ざります。現在何のスポーツもやっていない私にとって、2年ぶりのツインバスケットはこたえました。日常用の車イスで参加したことを差し引いても思うように動けず、運動不足を痛感しました。唯一の救いはシュートが1本入ったことでしょうか(笑)。

 毎年、この(ツインバスケットを行った)日以降「何かスポーツをはじめないと」と思うのですが、なかなか実行できません。日常は仕事と子育てでまったく余力がない状況です。
 私の希望は、どんなに大変な障害を持っている人もスポーツを楽しめる環境が整っていくこと。抽象的で、想像もつかないくらい大きな目標(どこまで行ってもゴールにならないレースみたい)ですが、自分がスポーツで力をもらってきたことを少しでも還元したいです。あと10年後、私に気力・体力があるならば、その年齢でできることを後輩に伝えていきたいと思います。

 [追伸]
 講義の約1週間後、福岡市障がい者スポーツ協会創立30周年記念式典にて、記念講演をされたロンドンパラリンピックゴールボール金メダリストの小宮選手、浦田選手とお会いする機会がありました。本物の金メダルを触らせていただき、とても感激しました。

福岡市:Y.S.



 (※編集部注)関連する原稿として、Sさんから「私と車いすスポーツ」という題で(1)130号、(2)132号、(3)133号にご投稿いただいています。
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